彦部館は手臼山を詰めの城とし、館を山麓に配置した典型的な中世の城の形態を成している。
そして 永禄年間以降、城を固めるというよりも由緒ある家柄に相応しい館として整えられたと考えられる。
屋敷の規模は東西130m、南北110mのほぼ方形でその中の約100m四方部分が堀と土塁に囲まれた内郭となっている。
虎口(出入口)は南面の大手口(正門)と裏側の東北面の搦め手口(裏門)の2つである。
敷地内には国重文に指定された主屋・隠居屋(冬住み)・長屋門・文庫倉・穀倉があり、屋敷北西隅には源義国の勧請と伝えられる竹ヶ岡八幡宮と稲荷宮が祀られ戦国時代から江戸時代の面影を今に伝えている。特に庭園は巧みに竹ヶ岡の細流を導き入れ、水・石橋・滝・池・巨石を配した池泉回遊様式で室町時代の公家文化の香りを伝えている。
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主屋
主屋は入母屋造り・かやぶき茅葺で、正面約18m・奥行き約11mあって規模が大きい。建築年代は江戸前期にさかのぼり、全国的にみても古い遺構であり、当時の上層農家の姿を伝えている。